阪神淡路大震災に思う。
尼崎で生まれ育った私には他人ごととは思えないあの日。
実家のある尼崎は隣の西宮に比べると被害が少なかったのとはいえ、
両親の住むマンション、
食器棚は倒れ割れたお皿で足の踏み場がない状況だったとか。
たんすの向きが幸いして倒れずにすんだけれど
あれが倒れていたらとそばで寝ていた母は身震いをしていた。
ようように繋がった電話で
ガスも水道もストップしているとのこと。
ここ(東大阪)に非難してくるように促し
2,3日して電車でやってきた両親。
震災後、復旧さなかの西宮は
見慣れた風景とはちがって、なんともいいようのない風景がそこにあった。
そんなことを思い出しながら
震災の新聞記事に目をやる。
あれから15年。
震災の4ヵ月ほど前に生まれた長男は15歳。
15の春を迎える。
震災で大切な家族や家を失った方々の気持ちを察するなんて
軽々しく口にしてはいけないし、できない。
ただただ、日々、大切にしないといけないと思うことが精一杯な気がする。